2025.09.27更新
先日は新たに始まるプロジェクト検討の一環として、岐阜の河合銘木店さんを訪れました。
最近になって知ったのですが、岐阜は大きな銘木市場もあり、全国から銘木が集まる地域として意外と有名だったみたいです。これまで銘木探しで困ったことがなかったのはそういうことだったのですね。河合さんのところも古くからそういった銘木を扱い、加工までしてくれる頼もしい銘木屋さんです。
岐阜では建物を普請する際は欅や栗が床板や敷台などの見せ場の部分に重宝されてきました。
飛騨地方では「一位一刀彫(いちいいっとうぼり)」が有名で、「岐阜の木」でもあるイチイの木も使っていますが、感覚的にイチイは神社など少し神聖な場所に使うイメージです。
工場(こうば)には宝のような銘木が所狭しと保管されていて、その内容や数に圧倒されます。
いつものことですが、工場を訪れるとテンション高まります。わくわく感というか・・
なぜそんな気持ちになるのか謎でしたが、なんとなくわかってきた気がします。
そこには圧倒的な「創造」が感じられるということです。
太古の人々は、洞穴の壁に絵を描き、土で器を作り、石を削って槍や斧を作ったり、生活の中で自然に創造を行っていました。それは特別なことではなく、日常の一部であり、楽しみでもあったはずです。
現代の暮らしではそういった日常と一体だった創造が「アート」や「労働」に細分化され分離されてしまい、急激に遠くなってしまいました。その原初の楽しみが工場から感じられたのだと思います。
今回のプロジェクトは生活の原点を探っていくのが大きなテーマとしてあります。そういった意味でもとても参考になった訪問になりました。
記事一覧